□2011年3月11日
私は、この日池袋で仕事の打ち合わせをしていました。打ち合わせも終わり帰ろうとしている頃建物が揺れ始めました。今までに経験の無い揺れでとにかく外に出ていました。
□TVに映し出される惨状
落ち着き始めた頃建物の中に入りTVを見ました。震源地が三陸沖である事がわかり津波の映像が映し出されました。とにかく見たこともない惨状が次々と映し出されていました。
□岩手県との繋がり
岩手県は、「食のプロフェッショナルチーム」にも入れていただき食のアドバイザーとして年間12回はうかがっていました。沿岸地域にも殆どうかがっており得意先、知り合いがたくさんいます。
2月1日に陸前高田市にうかがい2011年の販売について打合せをしたところでした。九州への販売ルートも出来て今年は販売高が増えると意気込んでいたのです。
□街が無くなる
状態がわかるにつれて陸前高田は街が無くなっているのが判りました。2月1日に打合せをした漁師さんとも全く連絡が付きません。毎日のように気付いた時に携帯を鳴らすのですが繋がらないのです。
ようやく繋がったのは3週間してからでした。この時は思わず涙が出ました。
□何が出来るか?
世の中のムードも「被災地応援で何が出来るか?」と言う事にシフトしていました。そこで自分にできることは商品を販売する事だと思い様々商品を探しましたが中々ありません。
陸前高田の漁師さんは、何もかも失っていました。
「商品が出来るのは何年後かな?」と言われたのを良く覚えています。
□定期連絡
陸前高田の漁師さんとは定期的に連絡を取っていました。何故か状況を聞いていたのです。しかし何も助ける事はできません。この時ほど無力だと思った事はありませんでした。また沿岸部の方々が大変な思いをされていて自分が何もできないと思うとこのまま仕事を続けていても良いのか?と無力感に襲われてきました。もう廃業しても良いかとも思ったくらいです。
□ウィルスブロッカーとの出会い
私は、食についての仕事をしていますが2010年暮れにひょんな事から「ウィルスブロッカー」と言う商品に出会いました。
この商品は、優れものでマスクをしなくても除菌されると言うものでした。偶々得意先のレストランで支配人が「職業柄マスクが出来ないので困っている」と言っていたのを思い出しこれを困っている人に届けようと思い販売するようになっていました。

□1本の電話
6月中旬になると仮設住宅も出来て食料も回ってきたと聞きました。その時電話の会話の中でこう言われたのです。
「田所さん寝るところも食べ物もある。しかし毎朝何をするかを考えるんだ」要は仕事が無いのです。働きたくても働く場が無い。私達には想像もつかない事でした。しかしこれを言われても私にはどうすることも出来なかったのです。
商品があれば・・・・
痛切に思いました。
□アイディア
6月29日午後6時私の中である事が頭をよぎりました。「内職」なら出来るのではないか?ウィルスブロッカーを陸前高田で作ったらどうだろう?この様なアイディアが浮かんできたのです。
直ぐにメーカーの社長に電話をしていました。
□内職の誕生
丁度その頃メーカーの社長も何か被災地応援が出来ないかと悩んでいたのです。二つ返事で私のアイディアに乗ってくれました。そこで内職が誕生したのです。しかし現地の人は受けてくれるか?余計な事ではないか?と思っていました。
□現地の方々の喜び
次の日陸前高田の漁師さんに電話でこの事を説明しました。そうしたところ非常に喜ばれ作業できるところも探すと言う事になりトントン拍子で事が運んでいきました。商工会議所も全面的にバックアップしていただける事になりました。
□現地入り
2011年7月18日陸前高田に入りました。正直今までTVでしか見ていませんでしたので想像を絶する世界が広がっていました。
瓦礫の山、車が、船がまだ田んぼの上にありました。復興は何年かかるのだろうと思いました。
正直この現状の中で仕事を探す事は至難の業ではないかと思いました。
□元気を貰う
7月19日作業の説明を現地の方々5人に対して仮設住宅で行いました。お母さん方に来ていただきましたが皆さん明るく元気でした。逆に私が元気を貰ったくらいです。皆さんで「よしやろう」と言う意気込みがあり非常に嬉かったのです。
□岩手に行った中で最高の日
2011年7月19日はこれから忘れないでしょう。
メーカーの社長と説明を終えて帰る時皆さんから「ありがとう。本当に嬉しいよ」と声を掛けていただきました。この時私のアイディアが役に立ったと思いまた感謝される事の喜びを感じました。
□雇用創出
この商品が売れれば売れるほど陸前高田に雇用が生まれます。
義援金、寄付、勿論大切だと思います。しかし自分達で仕事を生み出していく事はもっと大切だと思うのです。現地を見ると私は設備投資できるとは思えないのです。建物を建てるところも無いのです。仮設住宅で出来る仕事が一番早く出来るのではないでしょうか?
□食品ではないけれど
私は、岩手県の方々と食品を通じてお付き合いさせていただいていました。今回は食品ではありません。しかし何かお役に立ちたいと思いこの事業のお手伝いをさせていただきました。7月19日の皆さんの笑顔が忘れられません。このアイディアで良かったとつくづく思いました。
□被災地応援
雇用が生まれる仕事を現地に持っていくのは私が独占する事ではありません。この様な事が広がっていけばもっと良くなります。陸前高田だけでもなく色々な地域にこの様な事を持っていければ良いしまた別の企業がお考え頂いても良いと思います。
これからは被災地の応援の形も変わっていく様に思います。
一日も早い復興を願って止みません。
「がんばろう日本」
ウィンキューブインターナショナル
代表取締役
田所 宜己








